十六羅漢岩にて

東北温泉三昧


開催日時

8月23日(木)〜27日(月)

開催会場
東北地方 秋田県・岩手県
参加者
万里子 幸弘 

・・・スケジュール・・・

2日目(8月24日)
羽田〜(飛行機)〜庄内
(車での移動)鳴子温泉
@ABCD


やはり、旅立つ時の万里子さんは早起きで生き生きとしています 7:00
羽田空港も使い慣れ、どんどん行ってしまう


羽田−庄内間はわずか60分ほど
ほとんど寝る間がないように思えるが、熟睡していました
庄内空港レンタカーカウンターにて受付をする


庄内空港


雨がぱらつく天候
こんな写真を撮っていたら、大雨になってしまい
速攻で車の中に逃げ込む
今回のレンタカーは、日産のキューブ(1500cc)
イマイチのパワーで、坂道に弱い


空港から酒田に向け高速をとばす
この頃には、天候は一転
青空が見えだし、暑い一日の始まりとなりました


これといって見るところがなかったが、大きな看板に
“旧青山本邸”とあったので、ちょっと覗いてみることにしました
かなりの大物が住んでいたようです

青山嘉左衛門家中興の祖、青山留吉は、天保7年(1836)に父嘉左衛門の第6子として、
飽海郡遊佐郷青塚村(遊佐町比子字青塚)に生まれました。
家は貧しく、幼少の頃は、父の漁業や母の酒田への行商を手伝っていましたが、
18歳で羽後国由利郡(秋田県由利郡)に養子に出されました。
しかし旧慣を重んじる家風は留吉には合わず、家に戻り、安政6年(1859)の冬、
24歳の時に、北海道の漁場に1人で渡りました。
最初は後志国高島郡祝津村(小樽市祝津)の寺田九兵エのもとに雇漁夫として働きましたが、
約1年後に小規模ながら同地にて漁場を開くに至りました。
そして明治期の積丹半島を中心に漁場を次々と拡大し、青山家はやがて漁場15ヶ統余り、
漁船130隻、使用人300人余を擁する道内有数の漁業家に成長したのです。
一方では故郷の青塚に、明治中期に元大組頭渡部家の土地を入手してこの本邸を建設しました。後には田地250町余りを所有する大地主となり、一時は村税の8割を納めていたといいます。
漁業一筋48年、明治41年(1908)73歳の時に、留吉は北海道の漁場を養子の政吉に譲り、
青塚に隠居しました。
晩年は青塚や酒田で過ごしましたが、大正5年(1916)4月19日、
山形と北海道の両青山家の隆盛を見守りながら、
安らかに留吉は81歳の波乱万丈の生涯を閉じたのでした。
 

 
にしん王はすごい!

 

 
トイレも当時の物でこの派手さです

 
天井まで飾りが・・・
これは、ハエが止まらないようにする工夫のようです


調理場も半端ではありません


この住宅で目立ったのがケヤキ材です
非常に固く、燃えにくい燃えにくい木材として江戸時代では
かなり高価な物でした


この船でにしんを捕っていたようです


館内の見学中も天井裏をネズミが走っていく音が響き渡りました


庭もかなり豪快です

我々は、酒田市内から北上し鳥海山を目指しました


ここは“十六羅漢岩”です
22体の磨崖仏があるようです

 
秋の七草にもあります“オミナエシ”

鳥海山を目指しゴー!


素晴らしい景色です
正面に見えるのが、十六羅漢岩のある海岸


ちょうど反対側は、鳥海山
今回はスケジュールの関係上、山頂までのトレッキングは諦めました


ちょうど12:30
酒田と言えば、新鮮な魚介類
ここはかなり有名のようで長蛇の列

 
これで1200〜1500円
市内も寿司屋が多く点在する


お母さん一押しのお菓子や


お腹も満タンになって鳴子温泉郷のうなぎ湯に向かう


17:30ごろ着
うなぎ湯と言うことでうなぎの寝床のように細長いお風呂かと思っていたら
そうではなく、なんとぬるぬるなのである!


不思議な温泉です


温泉の後は、うなぎ肌で寝ます


19:00
夕飯です
やはり、温泉宿の楽しみは夕飯でしょう!


いただきまーす

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